2014年11月13日木曜日

ヴァーチャルとリアルについて

こんばんは桑原です

今日は僕の誕生日ということで
ちょっと切り込んだブログにしたいな思ってるのですが、
何がいいんだろう 考えながら書きます

話題に困ったときは自分の土俵で相撲を取るスタイルです。
僕は小学校の時からアニメや漫画以前になにか所謂二次元が大好きでした。

ちょうど僕が学生の時はまだインターネットも普及していなかったので
今ほど馴染みもなく、好きな人だけ知っているもの アンダーグラウンドなものでした
なので、偏見も強かったし正直自分もそこまで周りにだしてなかったかもしれません。
小学校の時、友達のMくん家(ヲタク伝道者)に行って スレイヤーズとエヴァの林原めぐみさんの
声から入りました。なんだか説明できない魅力がありました。

スレイヤーズは置いといて、エヴァなんて勿論当時意味不明だったんですけど
あの、街中に誰もいない感じとか夕焼けで真っ赤になったガランとした電車の中とか
マンションの電気つけてない部屋の中の 空虚感とか

あぁ好きだなーってなりました。

そんなヲタクカルチャーなんですが、今ではだいぶん世の中に普及していって
社会の偏見もそんなにないように思います。
ですが、そのわずかな偏見の壁になっているのが「萌え」ですよね
ちょっと理解しにくいですよね 正直僕もそこまで 萌え系には興味ありません。

 その中でも勘違いされやすいのが「初音ミク」です

ずばり今日はこれについて書きましょう!(どきどき

知らない人はほんと意味不明ですよね
ですが、あれ すごいんです。
ソフト(の詳細についてざっくり説明します。


初音ミクとは、つまり、音程を入力すると音が出るシンセサイザーの要素に
更に言葉の発音を入力し、「歌わす」ことができるソフトの事です。

詳しい事は知りません(笑


何がすごいって、このソフトにキャラクターがあることです。







一番上の画像がオリジナルのKEIの物で他のものは原作の作家以外の物だと思います

公式では名前やプロポーションの設定しかなく
また公式に出ている曲もほとんどありません(数曲

つまり、このソフトを買ったユーザーが自主製作で作った楽曲を
ニコニコ動画などネットにあげることによってユーザー間で共有し楽しみ
また、違う人が作ってそれを楽しむ

そして、爆発的に人気の出た楽曲から少しづつ定まった設定や世界観が構築されていくが
それは、ユーザーそれぞれの脳内で細かく細分化されまるで人格があるかのように
確立している。


1「ヴァーチャルはリアルに成り得るのか」
前のブログで攻殻機動隊の素子のセリフを紹介しましたが
それにも書かれていますが、人間が人間たらしめている部分とは身体、精神、経験
ですよね。ですが、この身体というのは、つまるところ体を通して精神に影響を及ぼしそれが経験に
なっていくという事です。

簡単に言えば実体験です。
それが、データとしてインプットされたものを僕達は偽物と感じてしまいます。
物語上の仮想のキャラクター(俳優なども含む)
に特別な感情を抱くことに対して嫌悪感を感じる人がいるのはこのためだと思われます。

ですが、初音ミクの場合どうでしょう。
提供された物語からインプットしているだけでなく、
今現在、リアルにあらゆる人が作り出す楽曲を通して
人格を思い描きながら構築していくキャラクターは生きていると言えると思います。

例えばブランドを好きな理由は服がかっこいいからだけではないと思います。
ブランドとは、その一貫する世界観やコンセプト、姿勢や作り手の発言
服以外にもその行動全てが作品と言えます。
そういう部分ももってファンになる人がほとんどです。
音楽もまたそうで、今現在現役で活動しているアーティストこそが生きていて
楽曲はその軌跡でしかありません。
ですが、それを聴いてそれぞれの生活の中に浸透し混ざり合って
また別の命が生まれます。

それらでさえ、あくまで生産者と消費者の構図はなかなか消えません。

「初音ミク」とは?と一言で言えないほどに拡大しているこの仮想人物は
空想の体験は人格を形成する可能性を示唆していると思います。
ここはファッションのブログなので初音ミクという存在をとりまくあらゆる
人間たちが外部記憶媒体になって大きなうねりを作り
無意識に構築される集合思念体になり得る(もうなっている?)話しは置いてきます

もちろんそのソフト自体にAIがついている とかそういう話しではないですが、

物語が好きで、そこにかける熱量が高ければ高いほど
実体験と変わらずその人の糧になるのではないか という事です。

今僕は何も考えずに見れる(所謂少年的欲求を満たす) アニメ
SAO(ソードアートオンライン)を見ていますが(今期のひとつ)
そこでテーマにもなっている(勝手に)のが
ヴァーチャルもリアルもそこに自分の魂が存在することには変わりない
ということです。
これは当たり前のことです。

みなさん電話しますよね?メールしますよね?
あれは、ヴァーチャルだから全部ウソとか思いません。

それと一緒だと思います。
ネットだろうとアニメだろうと小説だろうと映画だろうと
作り物だろうと他人の作品だろうと
そこに自分の気持ちがあって、そこで感じたことは
現実となにも変わりないということです。

2「現実社会はそんなに甘くない、社会的経験には劣るのか?」

 よく聞きますよね「ゲームばっかりやって。漫画ばっかり読んで」
やるべき事を達成することに支障 をきたすならまだわかるのですが、
ゲームってだけで漫画ってだけで「意味のないもの」
と定義される方って多いですよね。
それらが、何を生み出しそこから何を得れるのかを検証もせずに。

ゲームをやっていれば分かりますが、コツコツとレベリングや街の人の
話しをきく事の重要さ。
バズルゲームやアクションゲームでは必勝法とまではいかないまでも
合理的にコンボを組める方法を探さなくては絶対に安定して勝てません。

また、最近ではネットゲームがありますが、
これは、コミュニケーション能力がないと絶対にできません。
(勿論例外はありますが、それは上記の通常のゲームと同じものです)

よく言う、現実はゲームみたいにリセットできないってやつ

ゲームだってリセットできません。リアルな時間はこっちだって失っています。
当然の如く上手くなりたいしクリアしたいからゲームをやっているのであって
その時間を失われるのは普通にいやなんです。
だから、1時間かけたボス戦で死ぬと落ち込みますよそりゃ

実際の「死ぬ」とゲームや漫画の「死ぬ」の重みが違う
とか言う人がいるなら  あたりまえだろ笑 です。

僕達はニュースの惨劇や友達の親でさえ「死ぬ」という実感はほとんどできないんです。

死ぬってなんですか。
宗教間の定義は置いておいて日本の一般的な認識としては
この世から失われる 消える よって悲しい さびしい っていう事ですよね。

その大きさは計り知れないし、定義できないんですよ。それぞれの感情だから

その「重さ」を違う のは当たり前でだからなんだよです

同じように「好き」という気持ちも誰がそれは違うと言えるのかな 違うけど間違ってはいない です

なんでその失われる対象や好きな対象が実体のないものになれば
嘘になるのでしょうか。存在として自分のこころにあればそれらは等しく
「かなしい」や「うれしい」、「好きだな」
になり得るんじゃないかな

つまり、その悲しい さびしい気持ちは嘘偽りなく本物であって、現実の何か
と比べる必要もなければ それに劣るなんてものはかけらもありません。

完全に別のもので、寧ろ現実の社会的経験しかない人より
はるかに贅沢な経験をしていると思います。

勿論そんなことができるかは、その人の「想像力」のスペック次第です

ファッションも一緒なんですよ。
そこに思い描く自分の理想像や
感動した世界観を自分のものにしていく感覚って
想像力ありきの楽しみかたなんです。
服がかわいいからだけじゃないものがあると思います。
上手く言葉にできませんが、、


ヴァーチャル(実体のないものへの感覚)を愛せる人って素敵だと思います。

 

 僕が誕生したのは確かに現実に生まれたからですが
これからも、実態をもたない感情の誕生を愛せる人間でありたいと思います。


 桑原
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